こんにちは、しばらくブログの更新を止めておりました村上です。
昨年の4月より、小規模多機能(1階)の管理者を務めております。今回のテーマを考えていたのですが、なかなかおもいつかず・・・。自分の自己紹介を兼ねてテーマを見つけようかと思います。
私は、昭和51年生まれで現在は45歳です。人生の半分程になりました。昭和生まれは、46年~49年頃まで第二次ベビーブームで、51年52年生まれは弟、妹がとても多い年ですね。兄、姉の友達に遊んでもらった記憶がある方も沢山おられると思います。低学年の頃までは、京都市の南区に住んでました。工業地帯が多く、よく光化学スモッグが発令され外で遊んではいけない日があったことを覚えてます。中学年の時に宇治市に引っ越しました。引っ越しをしないといけない事に友達と泣いたことを覚えています。不思議なことに海外では引っ越しは、嬉しい事だそうです。新しい出会いや、ワクワク感で楽しみだそうです。私は、引っ越しイコール別れという考えにしかならなっかたのです。引っ越してからは不安でいっぱいでしたが、子供って自然と友達が出来るものですね。
中学時代は10クラスもあるマンモス校に通っていました。3年間名前の知らない人もいました。順調に高校に通い青春を謳歌しました。高校時代はとても楽しかったです。寝る間も惜しんであそんでました。そんな高校生活も終わりがあり各々違う道に進む事になります。私も一応大学受験をしたのですが、ご縁がなかったようで………。二度目もご縁がなく。気付いてはいたのですが、この時、確信に変わりましたね。私は勉強が出来ないのだ!と。
さてこの先どうしたものかと思い、やりたい事は何だろうと思ったのです。親戚がツアーコンダクターをしていて、面白そうだと思ったのですが、飛行機が怖くて、それなら旅先の宿泊施設の接客業はと思いホテルマンになろうと決めました。親にお願いをしてホテルの専門学校に通わせてもらいました。専門学校でホテルのアルバイトの斡旋があり、偶然にも京都で有名な某ホテルに行くことができました。それが今後の人生を大きく変える分岐点でした。元来、勉強が苦手な私は、成績はきびしいもののアルバイトは真面目に働いており、上司からの評価が良く、また実体験の卒業レポートがよかったようで、無事に卒業できました。就職先もそのままバイト先のホテルに内定をもらえました。ホテルでは11年程働き、奧さんとも出会いました。今では珍しい4人の子の父親をしております。毎日が戦いみたいな感じですが、ようやく手がかかる時期も脱出できそうな気配です。ホテル業の後にいくつか職を変えたのですが、やっぱり人と接する仕事がいいと思い、シオンにきて間もなく9年目を迎えます。色々な利用者さん、ご家族さん、職員さんと出会えました。少しずつ介護の仕事が見えてきた感じでなかなか難しいですね。人対人ですから……。まだまだ苦手な勉強の途中です。
と、言う訳でだらだらと長文になりましたが、テーマを見つけられなかったようで、次回の掲載の時にはテーマを決めてから始めます。今後とも宜しくお願い致します。ありがとうございました。