こんにちは。介護職員の黒木です。
これからブログ作成の一部を担当する事になります。
どうぞよろしくお願いいたします。
さて、今回は「介護の仕事の背景にあること」について、お話ししたいと思います。介護を行う、そのメンタリティに関わるお話になるかと思います。

日々、利用者様に接するなかで、急にその方の人格が変わったかのように思える瞬間というのはいくつもあります。
介護者の接し方が悪かったり、あるいは他の利用者様と言い合いになったり…
そういった瞬間に急に表に出てくる別人格というか、それに似たようなものをみることがあるのです。
これは認知症という病気の一側面でもありますし、介護士としてはもちろん、その場をどう収めるか、どう感情をなだめるか等々、その方の感情と向き合わねばなりません。
喜怒哀楽の感情は誰しも持つもので、それは認知症を患っていても同じことです。その表れ方が極端な場合があるというだけなのです。

ただ、そうした介護をきっかけとして、介護から少し遠ざかったところで考えるのは、
そういった種々の感情、心、知性といったものがいったいどのように生まれてきたのか、ということです。
周知のように、人間の身体は無数の細胞で成り立っていて、それぞれの感覚器官や内臓はまるで機械のように日々働き続けています。
そういった「機械的なもの」の集合体である人間から、一体どのように知性や感情が生まれてきたのか…
こうした問題は、実は現代においても完全に解決されたわけではないようです。
ある書物によると、知性の起源についてこのようにあります。
ひとつの説として、集団中の社会的行動が挙げられています。社会的行動のもとは、相手の心のうちを慮る能力です。この能力と記憶が結び付くと、協調、協力、思いやりといった心が生まれます。
長沼毅、井田茂著『地球外生命~われわれは孤独か~』79頁
そう考えると、介護の仕事というのは、その根本に人間の原始的な能力が据えられているのかもしれません。
協調、思いやり、相手の心の内を慮る能力…
どれも社会で生きていくために、また介護の仕事を行うのに必要な力です。
介護の仕事は誰にでもできるという人がいる一方で、昨今のコロナ禍で注目を集めたように、介護はエッセンシャル・ワーク(必要不可欠な仕事)の一種として認知されています。
そのような、ある意味「両極端な」評価の背後には、介護の仕事の持つ原始性があるのではないかと思います。
介護という仕事が、人間が人間に接するなかで交わされる感情を土台にしている感情労働であるからこそ、一見、簡単そうにも見えます。
その一方で、機械には代替できない人間の根本にかかわる労働でもあるということが、介護の仕事のある意味評価の難しいところなのかもしれません。
これからも日々、利用者様との感情のふれあいを大切にしていければと思います。
…といったところで今回のブログは以上になります。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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